ナイツ土屋伸之が47歳で美大合格——どこの大学?2年間の挑戦の全貌
2026年4月10日、ナイツの土屋伸之さん(47歳)がInstagramに一枚の油絵を投稿しました。タイトルは「壺」。そして添えられた言葉は、ファンの誰もが予想していなかった告白でした。
「実はこの2年間、予備校に通い美大受験に挑戦してました」
ラジオを2本抱え、漫才の舞台に立ち続けながら、土屋さんは誰にも言わずに予備校へ通い続けていたのです。その事実と合格の報告は、スポーツ報知・オリコン・スポニチなどに即日掲載され、SNSで爆発的に拡散しました。
「どこの美大か」と検索した方も多いでしょう。この記事では、その疑問にできる限り誠実に答えながら、土屋さんが歩んできた「絵への道」を一緒に振り返りたいと思います。
あの日、告白は突然やってきた
あの告白は、実はInstagramが最初ではありませんでした。
2026年4月8日——NHK Eテレの新番組「3か月でマスターする西洋美術」の初回放送。ナビゲーターとして登場した土屋さんは、番組の冒頭でさらりと言いました。「この4月から晴れて美大生になったので、より深く西洋美術を学んでいこうと思います」。
そして2日後の4月10日、Instagramに大きな油絵の写真とともに長文の投稿が掲載されます。その文章は、48歳を目前に控えた芸人が書いたものとは思えないほど、真摯でまっすぐなものでした。
「周りの方々の理解ある支えと、親身になってご指導頂いた先生方のおかげで、この度晴れて念願の美術大学への進学が叶いました」
「未来ある若い才能がたくさんいる中で、こんな50手前の超絶浪人生に貴重な一枠を与えてくれた大学に感謝し、より一層勉強します」
「残りの人生で、なるべく多くの良い絵を描ける画家になれるよう励んでいきたいです。もちろん漫才をもっともっとやりながら」
翌4月11日には、TBSラジオ「ナイツのちゃきちゃき大放送」で受験の詳細を語ります。いよいよファンの間に驚きと感動が広がりました。
それまでの2年間、土屋さんはレギュラーラジオ2本に出演し、漫才の舞台もこなしていました。何も変わらない顔で仕事を続けながら、その裏では予備校へ通い続けていたのです。
結局、どの大学なのか——大学名をめぐる真相
読者の方が最も気になるのは「どの美大か」という点でしょう。正直にお伝えします。現時点では、本人が大学名を公表していません。
Instagram投稿もラジオ発言もNHK番組も、具体的な校名には一切触れていません。「武蔵野美術大学 通信教育課程では?」という説がネットで広まっています。これは2023年頃にYahoo!知恵袋に投稿された推測が今回のバズで再び拡散したものです。
ただ、この説には無視できない矛盾があります。
武蔵野美術大学の通信教育課程は、入学選考が書類審査のみで実技試験がありません。では、なぜ土屋さんは2年間も美大受験予備校に通う必要があったのでしょうか。
4月11日のラジオでは、土屋さんがこんな言葉を残しています。「1年目は東京藝大を受けたんですよ。倍率22倍とか……一次試験で全然ダメだった」「2年目は私立も受けて、何とか行けるとこがあった」。
競争倍率22倍、実技を要する一次試験——これらはすべて、通学制大学の一般入試と整合します。また「貴重な一枠を与えてくれた大学」という言葉は、枠を競い合う通学制入試を突破した者の言葉として自然です。現在のところ東京造形大学や武蔵野美術大学(通学制)などが候補として挙がっていますが、いずれも推測の域を出ません。
「どこの大学か」よりも大切なことがあると、筆者は思います。47歳の土屋さんが誰にも言わずに2年間予備校へ通い続けた。日本一難しい美術大学に正面からぶつかっていったその事実そのものが、すでに十分すぎるほど胸に迫るものを持っています。
2年間、誰も知らなかった「超絶浪人生」の日々
2024年の春、土屋さんは都内の美大受験予備校の扉を叩きました。
当時ナイツは、ニッポン放送「ナイツ ザ・ラジオショー」(月〜木)とTBSラジオ「ナイツのちゃきちゃき大放送」(土曜)という2本のレギュラーラジオを抱えていました。漫才の舞台にも寄席にも立ちながら、隙間の時間を縫って予備校へ通う日々が始まります。
家族の中でも同じ時期、受験の波が押し寄せていました。息子さんの高校受験、娘さんの中学受験——土屋家はまさに「家族総受験」の状態でした。芸人の仕事、子どもの受験サポート、そして自分自身の美大受験。それを黙々とこなしながら、土屋さんは2年間、誰にも打ち明けずにいたのです。
2025年2月25日、東京藝術大学の一次試験当日を迎えます。
土屋さんが受けたのは、日本で最も難しい美術大学です。倍率22倍と言われた実技試験の一次審査は、しかし「全然ダメだった」という結果に終わりました。
その同じ日、相方の塙宣之さんは山梨県で側溝に落ちて顔面を骨折していました。
ラジオでこのことを明かした土屋さんは、こう言いました。「コンビ揃って落ちた日です」。
笑いに変えた言葉ですが、その日の土屋さんの気持ちを想像すると、胸が締め付けられます。2年間の計画の1年目が、無慈悲に終わった瞬間でした。それでも土屋さんは折れませんでした。
2年目は戦略を変えました。東京藝大だけでなく、私立美大も受験することにしたのです。そして2026年の春——「何とか行けるとこがあった」という言葉の通り、念願の合格を手にしました。
2年間、誰も知らなかった。テレビに出るたびに、ラジオで笑わせるたびに、漫才の舞台で輝くたびに、その裏には予備校へ向かう土屋さんの姿があったのです。
競馬画100時間、プレバト一発特待生——絵の才能の源泉
なぜ土屋さんは絵を描き続けるのでしょうか。その答えは、30年前に遡ります。
高校生だった土屋さんは、競走馬ビワハイジの走る姿に魅了されました。「この馬を絵に残したい」という衝動のまま色鉛筆を手に取ります。それが絵との出会いでした。
やがて競馬画は趣味の域を超えていきます。1枚の絵にかける時間は20時間、長いものでは100時間。そこまでの密度で描かれた作品は、見る人を驚かせる写実性を持っていました。2011年には騎手の四位洋文さんに、6ヶ月かけて描いたウオッカの絵をプレゼントしています。
転機となったのは2019年8月です。TBS「プレバト!!」の水彩画コーナーに初登場した土屋さんの作品を見た講師の野村重存先生が言いました。「今までのプレバトの水彩画の次元を1つ超えていく」。その言葉とともに、土屋さんは一発で「特待生」に昇格します。
一度の参加で最高位の認定を受けた。それは「絵がうまい芸人」の話ではなく、本物の絵の話でした。2021年の「秋の水彩画コンクール」では105点で優勝も果たしています。
しかし土屋さんはそれでも満足しませんでした。2024年には美学校(神保町の独立系美術教育機関)で本格的に油絵を学び始めます。同年8月に最初の油絵作品・関根勤さんの肖像画をInstagramで公開すると、「写真みたい」と大きな反響を呼びました。2025年7月の「徹子の部屋」では関根さんと塙さんの肖像画を披露し、黒柳徹子さんから「上手ね。写真みたいね」と絶賛されました。
そして今回、Instagram投稿に添えられた油絵「壺」。タイトルから壺が描かれているのかと思いきや、実際に描かれているのは客席で大笑いしている人々の姿でした。
土屋さんはこう説明しています。「笑う客席の中でも一際輝いて見える、苦しそうなくらいツボにハマってるお客さんです」。タイトルの「壺」は「ツボにはまる」という言葉の掛詞。漫才師として長年見続けてきた客席の笑顔を、油絵という形で永遠に残した作品なのです。
「例えばこんな自分にとっての絶景も、もっと人に伝わる美しい絵にしてみたいと思い、美術の師匠を求めて大学を目指しました」
その言葉を読んで気づきます。土屋さんにとって「美大進学」は単なる挑戦でも話題作りでもなく、人生をかけた選択だったのだと。
漫才をもっとやりながら——その言葉の先にあるもの
ナイツは今年で結成26年目を迎えます。現在、塙宣之さんは漫才協会の会長、土屋さんは常務理事として日本の漫才文化の担い手でもあります。M-1グランプリで3年連続決勝進出、「ヤホー漫才」で愛された彼らの漫才は、今も現役で進化し続けています。
その土屋さんが「残りの人生で画家になりたい」と言う。
これは「芸人をやめて絵の道へ」という話ではありません。「漫才をもっとやりながら」という言葉が、それを証明しています。漫才と絵——この二つは、土屋さんの中で対立していません。どちらも、人の表情を見続けてきた者にしかたどり着けない表現です。「笑う客席の絶景を美しい絵にしたい」という言葉が、その交差点にあります。
47歳で美大に入った土屋さんが、何年後かに卒業制作を仕上げる日が来るかもしれません。在学中に個展を開く日が来るかもしれません。その報告がどんな形で届くのか、今からとても楽しみです。
「50手前の超絶浪人生」と自分を笑いながら、誰よりも真剣に絵と向き合ってきた土屋伸之さん。その姿は、年齢に関係なく「やりたいことをやる」ことの大切さを、静かに、しかし力強く教えてくれています。
大学名はまだわかりません。でも、土屋さんが美大生になったことは本当のことです。それだけで十分、心が動かされます。

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