2026年2月28日にAdoが初の実写MVを公開したとき、SNSではある名前が自然と浮上しました。
米津玄師です。
「Adoのやつ、正直米津玄師と同じパターンじゃない?」「米津が前髪を分けたときと同じものを感じる」。こうした声がX上で広がったのには理由があります。二人はともにニコニコ動画出身で、長く顔を隠し、そしてキャリアのある時点で自ら顔を見せる選択をしました。
この記事では、Adoと米津玄師の「顔を隠す→顔を見せる」というキャリアの軌跡を比較しながら、まふまふなど他のニコニコ出身アーティストの事例も交えて、「アーティストにとって顔を見せるとはどういうことか」を考えます。
ニコニコ動画という共通のルーツ

Adoと米津玄師の物語は、どちらもニコニコ動画から始まっています。
米津玄師は2009年5月、ハチ名義で初のVOCALOID楽曲「お姫様は電子音で眠る」を投稿しました。自作のイラストとアニメーションで構成されたMVには、本人の姿は一切登場しません。2010年に投稿した「マトリョシカ」はわずか33日で100万再生を突破し、ボカロPとしての地位を確立します。
一方のAdoは2017年1月10日、14歳でニコニコ動画に「君の体温」の歌ってみた動画を初投稿しました。米津がボカロPとして作曲・作画・編集を一人で完結させていたのに対し、Adoは歌い手として他者の楽曲を歌うスタイルです。立場は違いますが、顔を見せずに声と作品だけで勝負するという姿勢は共通していました。
ニコニコ動画の文化がそれを可能にしていました。2000年代後半から2010年代にかけてのニコニコ動画では、ボカロPも歌い手もイラストやアバターで活動するのが当たり前で、顔を出さないことは特別なことではなく、むしろ標準でした。声や楽曲そのものに集中できる環境が、二人の才能を育てたとも言えます。
顔を隠していた理由――二人の告白

興味深いのは、二人が顔を隠していた理由がどちらも「文化的な慣習」だけでは説明できないことです。根底には、自分自身に対する強い葛藤がありました。
米津玄師は2015年のROCKIN’ON JAPANのインタビューで、幼稚園時代に鬼ごっこで唇を大怪我した体験を明かしています。周囲から訝しげな目を向けられ、自分が怪獣のようなものになってしまったという感覚を持ったと語りました。2018年のHIGHSNOBIETY JAPANのインタビューでは、自己肯定感のようなものはほとんどなかった、自分は落伍者だと思っていたとも述べています。
長い前髪で片目を隠すスタイルは、単なるファッションではなく、自分自身を守るための鎧だったのかもしれません。
Adoも同様の葛藤を抱えていました。過去のインタビューで、自分自身に取り柄がないと感じていたこと、顔出しは絶対にできないという思いがあったことを語っています。2021年10月のReal Soundインタビューでは、自分をアーティストというよりも歌い手として捉えていると明かし、ボカロや歌い手の文化を広めたいという思いも述べました。
二人に共通するのは、匿名性を「戦略」として選んだのではなく、自己肯定感の低さという内面的な理由と、ニコニコ動画の文化的な土壌が重なって、結果的に顔を隠すスタイルが定着したという点です。
顔を見せるまでの道のり――米津玄師の場合

米津玄師の顔出しは、一夜にして行われたものではありません。段階的に、少しずつ自分を露出していった過程がありました。
転機となったのは2012年の1stアルバム「diorama」です。ハチ名義ではなく本名の米津玄師を名乗り、VOCALOIDではなく自分の声で歌うことを選びました。2014年のFanplus Musicのインタビューでは、VOCALOIDを隠れ蓑にしたくないという過去の発言が引用されており、自分の力で勝負したいという意志がこの転換を支えていたことがわかります。
2013年5月のメジャーデビューシングル「サンタマリア」のMVでは、初めて本人が実写で出演しました。ただし長い前髪で顔の大部分を隠し、ガラス越しに撮影されるなど、完全な「顔出し」とは言えない象徴的な演出でした。
大きな転機は2018年。2月27日に公開された「Lemon」のMVは社会現象級のヒットとなり、同年末の第69回NHK紅白歌合戦では徳島県の大塚国際美術館から生中継で「Lemon」をテレビ初歌唱しました。5000本のロウソクに囲まれたステージで歌う米津の姿は、多くの視聴者にとって初めて見る「米津玄師の顔」でした。
その後も変化は続きます。2020年代に入ると前髪を分けて両目を見せるスタイルが増え、2023年以降はCMやMVでフルフェイスが定着。コンタクトレンズに変えて世界がクリアに見えるようになったという発言もあり、外見の変化と内面の変化が連動している様子がうかがえます。
ハチとしての初投稿(2009年)からフル顔出しの定着(2023年頃)まで、実に14年以上。米津玄師の「顔を見せるまで」は、長い自己受容の旅でもあったのです。
顔を見せるまでの道のり――Adoの場合

Adoの道のりは、米津玄師とは異なるスピードとスタイルで進みました。
2020年10月23日にメジャーデビュー曲「うっせぇわ」を発表してから社会現象になるまでの速度は圧倒的でした。しかしテレビ出演は電話(2021年1月のミュージックステーション)やリモート(2022年2月のマツコ会議、2024年7月の徹子の部屋)に限定され、ライブでもシルエット演出を貫いています。
そして2026年2月28日、新曲「ビバリウム」の実写MVで初めて本人が映像に登場しました。約300カットで構成された映像には、横顔や目元、水中シーン、走るシーンなど、これまでとはまったく異なるAdoの姿が収められています。
このMVの背景には、2月26日に発売されたノンフィクション小説「ビバリウム Adoと私」の存在がありました。小松成美が3年に及ぶ取材を重ねて書き下ろしたこの作品との連動プロジェクトとして、楽曲(Ado自身が作詞・作曲)とMVが制作されたのです。
Adoは公式コメントで、どんな形であっても私であることには変わりませんと述べました。初投稿(2017年)から実写MV(2026年)まで約9年。米津の14年より短いものの、決して急いだわけではなく、自分の半生と向き合うプロジェクトの中で自然にたどり着いた選択でした。
他のニコニコ出身アーティストはどうしたか

Adoと米津玄師だけでなく、ニコニコ動画出身のアーティストの多くが「顔を見せるかどうか」という問いに直面してきました。
まふまふの決断は特に印象的です。2010年頃から歌い手として活動し、長年マスクやイラストで顔を隠していたまふまふは、2020年10月18日に公開した「ひともどき」のMVで初めて顔を見せました。このとき本人はこうコメントしています。表情を隠すことによって表現できないことがあまりにも大きく、自分の作品に制限をかけていることが気がかりだった、と。
その後、2021年5月に東京ドームで史上初の無観客配信ライブを実施し約40万人が同時視聴、同年末には第72回NHK紅白歌合戦に出場。2022年6月には東京ドームで有観客2DAYSライブを成功させ、このステージでソロ活動の無期限休止を発表しました。
一方で、現在も顔を見せないスタイルを貫くアーティストもいます。Eveはニコニコ動画出身ながら、MVはすべてアニメーション、SNSでも顔を公開していません。ライブでは素顔で歌っていますが撮影禁止とされており、2019年のニッポン放送のインタビューでは自分自身を作品に出していかなくてもいいと思っていると語っています。ずっと真夜中でいいのに。のACAねも、ずとまよとしての活動では一貫して顔を見せておらず、THE FIRST TAKEでも横顔と暗い照明のみの演出でした。
顔を見せるか見せないか。同じニコニコ動画から出発しながら、アーティストごとにまったく異なる道が選ばれています。
「顔を見せる」ことの意味は、一人ひとり違う

こうして並べてみると、アーティストが「顔を見せる」理由は実にさまざまであることがわかります。
米津玄師は、VOCALOIDという隠れ蓑を脱ぎ、自分の声と自分の姿で勝負する道を選びました。14年かけて段階的に露出を広げ、今では自然体でメディアに登場しています。
Adoは、自分の半生を綴った小説プロジェクトの延長として、表現の幅を広げるために実写MVを選びました。ただし「顔出し」というよりも「どんな形であっても私」という宣言としての意味が強く、完全にシルエットを捨てたわけではありません。
まふまふは、表現の制限を取り払うために顔を見せ、その後に活動休止という予想外の展開を迎えました。
Eveは、作品を通じて十分に自分を表現できると考え、顔を見せない選択を続けています。
共通しているのは、どのアーティストも外部の圧力ではなく、自分自身の内面の変化に従って決断しているということです。ファンが「顔を見せてほしい」と望むことと、アーティスト本人が「顔を見せたい」と感じることはまったく別の話です。
米津玄師は14年、Adoは9年。「正解のタイミング」は本人にしかわかりません。もしかすると、Eveのように「見せない」こと自体が正解のアーティストもいるのでしょう。
ニコニコ動画という匿名文化の中で育ったアーティストたちが、メジャーシーンで「自分の顔」とどう向き合うか。その答えは一人ひとり違っていて、だからこそ面白い。きっとこれからも、それぞれのタイミングで、それぞれの答えが生まれていくはずです。
Adoが顔出しに至った経緯や、GReeeeN・Sia・Daft Punkなど海外アーティストとの比較については、こちらの記事で詳しく書いています。
→ Adoが顔出しした理由は?”顔を見せないアーティスト”が素顔を選ぶとき


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