スマホに知らない番号が表示される。0120から始まる、フリーダイヤル。出ないでいると、しばらくしてまた同じ番号が鳴る。その日のうちにもう一度。翌日も。
実際に私のところにも、0120-026-079という番号から何度か着信があった。出なかった。フリーダイヤルの営業電話だろうと思ったし、心当たりもなかったからだ。
ただ、何度も鳴らされていると、別の感情が混ざってくる。誰だ、という苛立ち。何の用だ、という落ち着かなさ。そして指は、番号を検索窓に打ち込んでいる。
調べて分かったのは、この番号がどうやら世論調査のものらしい、ということだった。詐欺でも、悪質な勧誘でもない。だが正体が見えても、ひとつ疑問が残る。世論調査なら、なぜこんなにしつこく、何度もかけてくるのだろう。
発信元は朝日新聞の世論調査とされている。だが、それで終わる話ではない
0120-026-079を電話番号の情報サイトで調べると、複数のサイトで同じ説明に行き当たる。朝日新聞社の世論調査、というものだ。利用者が書き込んだ着信報告にも、朝日新聞世論調査部と名乗られたという証言がいくつも並ぶ。内閣支持や政党支持についてのアンケートで、所要時間は5分ほど。コンピューターが無作為に選んだ番号にかけている、という説明も繰り返し出てくる。
朝日新聞社自身も、世論調査の手法を公開している。コンピューターで無作為に番号を作成し、調査員が固定電話と携帯電話に電話をかける方式だ。情報サイトに残る証言と、この公開された手法は食い違わない。だから発信元は朝日新聞の世論調査である可能性が高い、とまでは言える。
ただし留保がいる。情報サイトに載っている発信元の名前は、運営者や利用者が書き込んだものだ。朝日新聞社がこの番号を自社のものだと公式に認めた、という記録はない。だからこの記事でも断定はしない。世論調査とされている、という言い方にとどめておく。
そして、ここで話を終わらせると、それは番号情報サイトに書いてあることをなぞるだけになる。正体が分かって一安心、では片づかない疑問が、最初に戻ってくる。なぜ、出なかった私のところへ、何度もかかってきたのか。
出ない人ほど、何度もかかってくる

答えは、世論調査の仕組みそのものにある。
新聞各社がやっている電話世論調査の多くは、RDDと呼ばれる方法を使う。コンピューターが電話番号を乱数で作り出してかける方式だ。電話帳に載っていない番号も、登録したばかりのスマホも対象になる。だから、どこで番号を知ったのかという不安には、誰かが個人情報を漏らしたわけではない、という答えになる。番号は機械が無作為に生成しただけだ。
問題はその先にある。乱数で選ばれた相手が、たまたま留守だったとする。あるいは、出たくなくて居留守を使ったとする。このとき調査する側は、すぐに諦めて別の家にかける、という動きを取らない。同じ番号に、時間帯を変えて、何度もかけ直す。夜の10時、11時近くまで粘ることもあるという。
なぜそんな面倒なことをするのか。ある調査会社は、その理由をはっきり説明している。留守だからといって別の家へどんどんかけていくと、電話に出やすい人ばかりが回答者になり、データが偏ってしまう。世論調査の回答は、誰でもいいわけではない。科学的な方法で選ばれたその人でなければ意味がない。だから出るまで、かけ続ける。
つまり、しつこさは嫌がらせではない。調査の代表性を守ろうとした結果として、構造的にそうなっている。出ない人を取りこぼすほど、調査全体の正確さが揺らぐ。だから皮肉なことに、出ない人のところにこそ、何度もかかってくる。
もっとも、これはあくまで調査する側の論理だ。かけられる側からすれば、科学的な要請だろうが何だろうが、何度も鳴る電話は単純に迷惑である。仕組みを知ったところで、不快感が消えるわけではない。むしろ、こちらの都合はおかまいなしか、出るまでかけ続ける気か、と反発を覚える人もいる。そうした声は、着信報告のなかにいくつも見つかる。
では、出るべきなのか

ここから先は、答えが割れる。
出るべきだ、という立場がある。電話世論調査は、答えてくれる人が減るほど精度が落ちる。あとで触れるように、回答率はかつてより大きく下がっている。一人ひとりが面倒がって切るほど、世の中に出回る世論の数字は、答えてくれた一部の人に寄っていく。だから時間が許すなら出て答えることには、地味だが公共的な意味がある、という考え方だ。
無視していい、という立場もある。そもそも回答は任意で、応じる義務はない。5分とはいえ時間は取られる。設問が気に入らないこともある。出てみたら当時の政権についてのアンケートだった、という回答者の書き込みもある。比例区の投票先の選択肢に自分の支持する政党がなく、二択を迫られて腹を立てた、というのだ。選択肢の作り方しだいで、答えが誘導されているように感じる場面は確かにある。それなら最初から出ない、という判断も筋が通る。
判断を難しくしているのは、出る前にそれが本当に世論調査なのかを確かめる手段が、こちら側にないことだ。世論調査をかたるセールスや詐欺が一切ないとは言い切れない。だから人は着信のあと、番号を検索する。そして番号情報サイトの口コミを読む。
ところが、その口コミがまた厄介なのだ。そこに並ぶ「しつこい」「気持ち悪い」「怖い」といった言葉は、誰が、どんな気分のときに書いたものか分からない。一度でも嫌な思いをした人ほど書き込みやすく、特に何とも思わなかった大多数は、わざわざ何も書かない。だから口コミは、放っておくと不安の側に偏っていく。不安だから検索したのに、検索した先で不安を上書きされる。番号情報サイトのなかには、注意書きを添えているところもある。ここに登録された番号は必ずしも迷惑電話とは限らない、最後は自分で判断してほしい、と。口コミは答えではなく、判断材料の断片でしかない。
結局、出るべきか無視すべきか、万人に通じる正解はない。あるのは、自分がその5分をどう値踏みするか、という問いだけだ。
そもそも、その数字は信じていいのか

出るか出ないかの手前に、もうひとつ大きな問いが横たわっている。そうやって集められた世論調査の数字を、私たちはどこまで信じていいのか。
電話世論調査の回答率は、はっきりと下がっている。かつては80パーセントを超えていた時期もあったが、近年は40パーセント台まで落ち込むことも珍しくない。半分以上の人が、答えずに切っている計算になる。残り半分が、世の中の声を代表していると胸を張って言えるのか。固定電話を持たない若い世代には、そもそも電話がかかりにくいという偏りの指摘も、長く続いている。
さらに不思議なのは、同じ時期に各社が出す内閣支持率が、ときに10ポイント以上も食い違うことだ。同じ国の、同じ内閣について調べているのに、なぜずれるのか。理由のひとつは、重ね聞きと呼ばれるやり方にあるとされる。支持か不支持かをすぐ答えない人に、あえて言えばどちらですか、ともう一押し聞くかどうか。これをやる社とやらない社とで、支持と不支持の数字も、態度を決めかねている人の割合も変わってくる。つまり数字は、質問の仕方ひとつで動く。
こう書くと、世論調査などあてにならない、という結論に飛びつきたくなる。だが、そこも単純ではない。回答率が下がってなお、無作為に選んでかける電話調査には強みがある。答えたい人だけが答えるネット上の任意アンケートよりは、はるかに母集団を代表している。完璧ではないが、いまのところましな手段ではある、という擁護にも一理ある。数字は揺れる。けれど、揺れることを承知のうえで読むなら、まるごと無価値というわけでもない。
鳴り続ける電話の、その向こうにあるもの
あの日、私のスマホを何度も鳴らした0120-026-079。その向こうには、世論をできるだけ正確に映そうとする仕組みがあった。出ない人を取りこぼさないために、何度もかけ直す。その執拗さは、いいかげんな調査をしないための執拗さでもあった。
けれど私は出なかったし、たぶん次も出ない。仕組みの正しさと、かけられる側の感覚は、どこまでも噛み合わない。代表性のために粘る電話を、私たちは迷惑として切る。そうやって切られた分だけ、世論の数字はまた少しずつ偏っていく。誰も悪意を持っていないのに、調査はやりにくくなり、出来上がった数字の確からしさも揺らいでいく。
この噛み合わなさに、きれいな着地点があるとは思えない。世論調査に出るのが市民の務めだと言い切るのも、こんなものは無視していいと突き放すのも、どちらも何かを取りこぼしている。
ひとつだけ確かなのは、次に知らない0120番号が鳴ったとき、私はまた一瞬、誰だろうと身構えるということだ。その身構えの正体は、迷惑なのか、不安なのか。それとも、自分が世の中の数えられ方から少しだけ外れていることへの、かすかな後ろめたさなのか。そこはまだ、自分でもよく分からないままだ。

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