2026年2月、ミラノ五輪のペアフリースケーティングで三浦璃来・木原龍一組(りくりゅう)がフリー世界最高得点158.13点を叩き出し、日本ペア史上初の金メダルを獲得しました。NHKの解説席では、かつて木原龍一とペアを組みソチ五輪に出場した高橋成美さんが涙を流しながら「宇宙一ですよ」と声を震わせています。金メダル直後、木原選手はインタビュアーの高橋さんに向かって「なるちゃんがいたから、俺たちが……ありがとう」と語りました。2015年の成龍ペア解散は、木原選手側から切り出されたもので、不仲ではなく競技上の前向きな決断だったのです。この記事では、解散の経緯と真相、そして11年を経て「ありがとう」で結ばれた日本ペアの系譜をたどります。
高橋成美と木原龍一のペア結成の経緯

高橋成美さんは、カナダ国籍のマーヴィン・トランとのペアで2012年世界選手権銅メダルを獲得した実績を持つ選手でした。日本スケート連盟所属のペアとしては史上初のメダルという快挙であり、日本ペアスケーティングの歴史を切り拓いた存在です。
しかし2012年4月、練習中に左肩反復性脱臼を発症。同年10月には右膝の手術も受け、高難度のリフトが困難になりました。トランの国籍問題(日本代表としてのオリンピック出場資格)もあり、2012年12月18日にトランとのペア解消を正式に発表しています。
ここで運命が動きます。実は2011年夏、日本スケート連盟がカップル競技の育成を目的として中京大学のリンクでトライアウトを開催しており、高橋さんはお手本役として参加していました。このとき、シングルスケーターとして参加していた木原龍一選手とホールドを組んだ瞬間、高橋さんはある感覚を得ています。
「龍一君の手が、マービンの感触に似ている」
ペアスケーティングにおいて、手の握りは「命綱」とも言えるもの。リフトやスロージャンプなど危険な技の精度と安全性を左右します。Number Webの野口美惠氏による記事(2014年2月12日公開)には、このエピソードが詳しく記されており、高橋さんはトランとのペア解消後、この「手の感触」を思い出し、連盟とともに木原選手の説得にあたったとされています。
木原選手は当時、シングルスケーターとして全日本選手権3年連続12位という成績が続き、引退も視野に入れていた時期でした。身長175cmという日本男子シングルとしては大柄な体格でスケーティングは滑らかでしたが、シニアレベルでのトリプルアクセルに苦しんでいたのです。
ペアへの転向を打診された木原選手は、約1ヶ月間悩み抜いたと伝えられています。「シングルが嫌になったとか限界を感じたとかではない。これが正しい道なのか長いこと悩んだ。ただ、五輪を目指して挑戦するというのは、今しか出来ないことだと感じて決断した」。2023年にJBpressが掲載した高橋さんのインタビュー記事では、当時の木原選手の言葉として**「なるちゃんとだったら目指せるよ。なるちゃんとじゃなかったら絶対ペアなんかやらない」**という発言も紹介されています。
2013年1月30日、日本スケート連盟は高橋成美・木原龍一のペア結成を正式に発表しました。練習拠点はアメリカ・デトロイト。コーチには佐藤有香氏とジェイソン・ダンジェン氏が就きました。日本人同士のペアが国際大会に出場するのは約10年ぶりの出来事で、フィギュアスケート界に大きな話題を呼んでいます。
成龍ペアの戦績とソチ五輪への挑戦
2013年9月のネーベルホルン杯でデビューした成龍ペアは11位。ソチ五輪の出場枠を直接獲得することはできませんでしたが、エストニアが返上した枠の繰り上がりにより、出場権を手にしました。同年11月のNHK杯では最下位ながら日本の観客から温かい声援を受け、全日本ペアとしての10年ぶりの国際舞台復帰を果たしています。
2014年2月のソチ五輪では、団体戦にてショートプログラム8位・フリースケーティング5位(チーム総合5位)に貢献。個人戦ではショートプログラム18位で、フリー進出ライン(上位16組)に届きませんでした。結成からわずか1年という期間を考えれば、オリンピックの舞台に立ったこと自体が大きな成果だったと言えるでしょう。
2014-2015シーズンは、木原選手の体づくりが進み体重は62kgから70kgへと8kg増加。ペア特有のリフトやスロー技に必要な肩回りの筋肉が大きく発達した結果でした。四大陸選手権10位、世界選手権19位(ショートのみでフリー進出ならず)という成績を残し、全日本選手権ではシーズン目標だったSP50点・FS100点超えを達成しています。
日本ペア史における成龍ペアの功績は、成績以上に大きなものでした。2003年以来途絶えていた日本人ペアの国際舞台への道を再び切り拓き、後に続くペアスケーターたちの礎を築いたのです。
ペア解散の理由|木原側から切り出された真相

2015年3月31日、日本スケート連盟は高橋成美・木原龍一のペア解消を正式に発表しました。
解散の経緯を最も明確に伝えているのは、高橋成美さんが公式ブログ「成&龍 Happy Diary」に投稿した「ご報告!」という記事です。そこには、こう綴られていました。
「私は次のオリンピックを目指して、2人で頑張っていくつもりでしたが、数週間前、龍一から『解散したい』と話がありました」
この一文から、解散を切り出したのは木原選手側だったことが分かります。高橋さん自身は次の平昌五輪を目指して続ける意志を持っていたものの、木原選手の意思を受け入れる形で解散に至りました。同時に高橋さんは「でも私はやっぱりスケートが大好きです。ペアが大好きです」「今後は新しいパートナーを探しペアスケートを続けていこうと思います」とも記しており、前を向く姿勢を見せています。
解散に至った複数の要因
公式に詳細な理由は明かされていません。しかし、当時の状況から複数の要因が浮かび上がります。
まず、成績面での伸び悩みです。2014年の世界選手権、2015年の世界選手権と2年連続でショートプログラムのみでフリーに進めなかった事実は、2人にとって重い現実だったはずです。次に、高橋さんの肩の故障による技術的な制約があります。2012年に発症した左肩の問題は高難度リフトの実施を困難にしており、ペアとしての技術的な天井が見えていた可能性は否定できません。
さらに、デトロイトを拠点とする海外生活の負担、経験値の差(世界選手権メダリストの高橋さんとペア歴わずか2年の木原選手)、そして競技に対する方向性の違いも要因として考えられます。ただし、これらはあくまで当時の状況から推察される分析であり、2人の間で具体的にどのような話し合いがなされたかは公表されていません。
高橋成美と木原龍一の「不仲説」の真相
成龍ペアの解散をめぐっては、ファンの間で「不仲だったのではないか」という憶測が広がりました。キス&クライでの距離感や試合後の振る舞いなどから、そうした印象を持った視聴者もいたようです。
しかし、公式な発言を見る限り、不仲を裏付ける事実は確認できません。高橋さんはブログで木原選手への感謝を述べており、木原選手も連盟を通じて感謝のコメントを発表。さらに、両者とも解散後に「ペアスケートを続ける」と表明しており、競技そのものへの情熱を失ったわけではありませんでした。
解散は競技者としての判断であり、どちらか一方の「責任」に帰せられるものではないでしょう。2人がそれぞれ新たなパートナーを求めたという事実が、この解散が「終わり」ではなく「次への一歩」だったことを物語っています。
解散後、2人はまったく異なる道を歩んだ
高橋成美——7か国語を操る解説者へ
高橋成美さんは解散直後の2015年7月、ロシアのアレクサンドル・ザボエフと新ペアを結成しましたが、資金難により年内で解消。2016年5月には柴田嶺選手とペアを組みましたが、2018年3月に競技者としての引退届を日本スケート連盟に提出しました。「3歳のときに初めてスケート靴を履いてからあっという間の23年間でした」というブログの言葉には、長い競技人生への万感の思いがにじんでいます。
引退後は松竹芸能に所属し、元オリンピック選手として初めてお笑い事務所に入るという異色の転身を果たしました。現在はフィギュアスケートの解説者としてNHKの中継に欠かせない存在であり、2021年にはJOC理事に史上最年少(29歳)で就任。2023年からはJOC評議員を務めています。
幼少期を北京で過ごした経験やカナダ人パートナーとの競技生活を通じて身につけた語学力は圧倒的で、日本語・英語・中国語・フランス語・ロシア語・韓国語・スペイン語の7か国語を操ります。日本テレビのクイズ番組『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』で全問正解を達成し、賞金300万円を獲得。3度目の挑戦での快挙でした。慶應義塾大学を10年かけて卒業した努力家でもあり、将来の目標にはスポーツ庁長官を掲げています。
木原龍一——引退危機からりくりゅう結成、そして世界の頂点へ
木原龍一選手の歴代パートナーをたどると、その道のりがいかに険しかったかが分かります。
成龍ペア解散後の2015年6月、須崎海羽選手と新ペアを結成。全日本選手権で2連覇を達成し、2018年平昌五輪にも出場しました(ショート21位、フリー進出ならず)。しかし2019年2月、四大陸選手権直前の練習中にツイストリフトで脳震盪を起こし、四大陸・世界選手権をともに欠場。同年4月にはペア解消が発表されました。
ここから木原選手は最大の危機を迎えます。新たなパートナーが見つからず、かつてのホームリンクである名古屋の邦和スポーツランドで貸し靴の管理や宿直のアルバイトをしながら過ごす日々。「独立リーグ(野球)を受けようかなと思います」と連盟関係者に打ち明けるほど、競技を離れることを本気で考えていたと報じられています。
転機は2019年7月。中京大学のリンクで行われた連盟のトライアウトに、木原選手はスタッフとして参加していました。そこに居合わせたカナダ人コーチのブルーノ・マルコットが「リュウイチ、靴をはけ!」と声を掛けたのです。パートナーを探していた三浦璃来選手と氷上で合わせた瞬間、木原選手は「絶対にうまくいく」と確信したと語っています。
2019年8月、りくりゅう結成。 カナダ・オークビルを拠点に、マルコットコーチとメーガン・デュアメルのもとでトレーニングを開始しました。結成わずか3ヶ月でNHK杯に出場して5位に入ると、2022年北京五輪では団体戦銀メダル・個人戦7位と躍進。2022-2023シーズンにはグランプリファイナル・四大陸選手権・世界選手権を全制覇する「年間グランドスラム」を達成し、2023年世界選手権では日本ペア初の金メダルを手にしました。
りくりゅうは付き合ってる?公式発言と海外ペアの事例から徹底考察
ミラノ五輪で結ばれた「ありがとう」|高橋成美の涙の解説

2026年2月16日(現地時間)、ミラノの氷上でりくりゅうの物語はクライマックスを迎えました。
前日のショートプログラムで木原選手にリフトのミスがあり、73.11点で5位発進。首位ドイツのハーゼ・ヴォロディン組とは6.90点差という厳しい状況でした。しかしフリースケーティング「グラディエーター」で、2人は完璧な演技を見せます。すべてのエレメンツをクリーンに決め、技術点82.73、演技構成点75.40、減点なし。フリー158.13点は世界歴代最高得点を更新し、合計231.24点で大逆転の金メダルを勝ち取りました。日本フィギュアスケート史上初のペア五輪金メダルであり、33歳の木原選手は日本の冬季五輪最年長金メダリストとなったのです。
そしてこの歴史的瞬間を、解説席で誰よりも近くで見届けていたのが高橋成美さんでした。
NHKの中継で、演技後半のスロートリプルループあたりから高橋さんは解説席で立ち上がっていました。演技が終わった瞬間、彼女の口から飛び出したのは——
「すっごい! なんてすごい……すごい、すごい、すごい、すごい、すごい、すごい!!」
「すごい」の8連発。そして続けて放たれた一言が、「こんな演技、宇宙一ですよ」でした。
得点が表示されると「とんでもない数字が出てます」「世界一に決まってますよ」。金メダルが確定した瞬間には涙声で「世界一ですね。こんな瞬間がくるなんて本当にうれしくて。りくりゅう本当にありがとう。自分自身ペアに出会えてよかったなって、心から思えたし、こんな最高の気分に合う日本語なんて思いつかないです」と語りました。SNSでは「成美ちゃん」「なるちゃん」がトレンド入りし、「解説も宇宙一」「日本スポーツ史に残る名言」と大きな反響を呼んでいます。
そして、NHKのインタビューゾーンで金メダリストを待ち受けていたのも高橋さんでした。木原選手は彼女の顔を見ると、涙をこらえながらこう語りかけています。
「本当にありがとう、ペアに誘ってくれて。なるちゃんがいたから、みんなペアの選手が出てきた。なるちゃんがいたから、俺たちが……ありがとう。本当にありがとうございます」
高橋さんも涙を浮かべながら応じました。「今日はりくりゅうの夢の金メダルだったけど、気づいてないかもしれないけど、目の前の私の夢も今日かなった」。最後には3人で「ペア大好き!」と叫び、画面の向こうの視聴者の涙を誘っています。
翌朝の情報番組に出演した高橋さんは、「一緒にペアを滑ってくれてありがとう、っていう気持ちと……」と言葉に詰まりながら再び涙を見せました。
その胸の内をより率直に語ったのが、NEWSポストセブン(2026年2月18日公開)のインタビューです。「やっぱり、以前組んでいた人が他の人と組んで上手くなると、自分に何かが足りなかったのかなと思ってしまうのは”ペアあるある”。あの喜びを私が味わいたかったのにって未練たっぷりでした。すごく心がソワソワして、正直、引退直後は自分を重ねたり、過去を振り返ったりすることはめちゃくちゃありました」。しかし続けてこう言い切っています。「でも、もう乗り越えてるんです。 だって自分がペアをやりたかった理由は、ペアという競技がカッコいいと思ったからで、りくりゅうペアは純粋にペアとしての感動をくれる。そっからはもう沼。りくりゅうペアの虜です」。
高橋成美さんの号泣解説は、ただの感傷ではありませんでした。元パートナーへの誇り、自分自身の未練を乗り越えた先にある純粋な愛情、そしてペアスケーティングそのものへの敬意——そのすべてが、あの「宇宙一」に込められていたのです。
「手の感触」から始まった日本ペアの系譜
2011年夏、中京大学のリンクで高橋成美さんが木原龍一選手の手を握った瞬間から、すべては始まりました。
成龍ペアとして2013年に結成、2014年ソチ五輪に出場、そして2015年に解散。その解散がなければ、木原選手が須崎海羽選手と平昌五輪に挑むこともなく、脳震盪からの引退危機を経て三浦璃来選手と出会うこともなかったでしょう。高橋成美さんがペアに誘わなければ、木原龍一選手はシングルスケーターとして静かに引退していた可能性が高い。りくりゅうという奇跡のペアは、生まれていなかったのです。
解散は「終わり」ではなく「始まり」でした。あのとき木原選手が「解散したい」と切り出した決断は、結果として日本ペアスケーティングの歴史を大きく動かしています。高橋さんもまた、競技者としてのキャリアを終えた後、解説者として日本ペアの成長を見届け、伝える立場で新たな役割を果たし続けています。
トライアウトの「手の感触」から11年。2026年ミラノの氷上で交わされた「ありがとう」は、単なる社交辞令ではありません。高橋成美さんのあの涙は、11年分の悔しさと誇りと感謝が詰まったものだったのかもしれません。

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